産業技術教育学会&長岡新潟旅行記

2009年8月20日〜24日

(05) 与板・雁木が連なる街並み
 


 
写真・左は、長岡のスーパー原信です。赤地に白字の”Harashin"が原信のことだとは、車を走らせていても、しばらく気づきませんでした。その原信で、赤飯を見つけました。長岡の赤飯は、赤くない赤飯です。今は正油赤飯と名乗っているようです。なんだか懐かしくて買ってしまいました。


 
信濃川の左岸(西側)を、長岡から北に向かうと、与板に向かう広域農道があります。どこまでも続く田んぼの中を、まっすぐに・・・


 
与板は、信濃川から大河津分水が分かれる数キロ 上流に位置します。写真は、与板の町の近くに架かる与板橋。


 
 長岡の駅前の大手通は、記憶していたイメージから かなり変っていましたが、与板の町は、私の記憶で 思い描いていたイメージが、ほぼそのままで懐かしく 感じました。


 
 この与板も、平成の大合併で今は長岡市になって います。江戸時代には与板陣屋が存在する城下町 であり、越後の小京都とも呼ばれています。


 
明治4年の廃藩置県の直後は与板県が存在しました。 その後、柏崎県に編入され、そして明治6年には新潟県 に編入され、近隣の村を合併しながら三島郡与板町の時代が 平成の大合併まで続きます。



 今回の訪問で初めて知ったのですが、日本初の国産ビール 醸造技師・中川清兵衛は、この与板で、与板藩御用商人の家の生まれたそうです。現在のサッポロビールのルーツになるそうです。



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